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踏まれていない急ブレーキ─【団塊ひとり】追記記事について
事実を忘れないために

大阪タンクローリー事故運転手不起訴に思う

〜追突を避けるためなら、歩道にハンドルを切っても良いのか?〜

今年5月12日に、大阪市浪速区で起こった事故。タンクローリーが歩道に突っ込み、2人の歩行者が轢かれて死亡した事故について、 大阪地検は7月22日その処分を決定。自転車で道路を横断し事故を誘発したとされる男のみが起訴され、事故を起こしたタンクローリー運転手は不起訴。 「直接の当事者は刑事訴追されない異例の展開」(2011年7月22日 読売新聞)となりました。

この処分の不当性については、多言を要さないことです。問題はなぜ大阪地検がこのような「異例の」決定をしたのかという「動機」ですが、 残念ながらそれは現状では推測の範囲を超えることはできません。(先日、同趣旨の記事を書きましたが、それは→関連記事1に移しました。)

この事故では、自転車の無謀横断が事故の最初の引き金になっていることから、自転車男性への非難が、そのまま運転手への同情となっている傾向が一部にあります*。 しかし、冷静に考えてみると、事故を起こしたタンクローリーの状況は、それほど特別のものではありません。 要するに、目の前に車線変更された場合の対応如何と言う問題であり、そのような状況は自転車の無謀横断などと関係なく、まま起こり得ることです。 (筆者も、少なくとも自車の2、3mの直前に車線変更された経験は何度もあります。)

そのような場合、通常はブレーキを踏むしかなく、場合によっては、隣の車線が空いていればそちらにハンドルを切り車線変更を行うという対応もあり得るでしょう。 いずれにせよ、接触を回避するための最大限の努力は行わなければなりません。しかし、結果として必ず接触を避けられるとは限らないと言うことです。

しかし、タンクローリーはそのような通常の回避努力を全く行わず、とっさに歩道側にハンドルを切ってしまいました。 いかにとっさのこととは言え、確認もせずに歩道に突っ込んでしまえば大惨事になることは目に見えています。 このような行為をもって「事故回避のため、やむを得ない運転操作だった」とした、大阪地検の正気を疑います。 「自動車同士の接触を避けるためなら、歩道に突っ込んで二人の歩行者を轢き殺しても罪にならない」。 とんでもない歩行者無視の思考であり、歩道と車道の区別が存在する意義を全く理解していません。

衝突回避のために車線変更することは通常の判断の一つとしてあり得るでしょう。しかし、自動車は歩道に突っ込んではいけません。当たり前のことではありませんか。 もし「緊急避難」をもってそれを正当化できる場合があるとしても、それは歩道上に歩行者がいないことを確かめて、緊急的に歩道に避難するという場合に限られるでしょう。 もちろん「確かめたつもり」でも、実際に事故を起こしてしまえば正当化の余地はありません。

「自動車同士の接触を避ける」ことは大事ですが、それはお互いに「接触が避けられないような状況を作らない」という意味です。 一旦その状況が生まれてしまった段階で、「歩道上の歩行者を犠牲にしてでも」「いかなる手段を用いてでも」接触を避けるべきものではありません。 それが免許を受け、自動車を運転する者の宿命とも言うべきものです。自動車に乗る者が、自分の安全や車両同士の安全のために、歩行者を犠牲にして良い道理がありません。 ところが、「それを避けるためなら、歩道に突っ込んで歩行者を轢き殺しても、それはやむを得ない運転操作である」**。 自動車同士の接触回避を至高の目的として、その手段としては歩行者の犠牲もいとわない。 このような倒錯した論理が世の中を支配するならば、もはや歩道さえも歩行者の歩くべき場所ではなくなってしまいます。 そのような社会に、いったい誰が住みたいと思うでしょうか?

* この同情論を、いっぱしの論理にまで構成したブログ記事がありました。(→【団塊ひとり】大阪タンクローリー事故、運転手ら2人不起訴 「正義」とは何か?)。 その論理への批判は→関連記事2に書いています。

**「だから、とっさのことでそこまで判断できなかったのだろう。轢き殺そうと思って轢き殺したわけではない」と弁護できますか? しかし、それは単に「故意ではなく過失だった」と述べているに過ぎないのです。 自動車が歩道に入ること自体が法令無視。法令無視による過失は罰せられるべきです。
現実に、車線変更にともなう衝突事故は多発していますが、その際衝突を避けるためとして、多くの車がハンドルを切って歩道に突っ込んだとしたら、いったいどれほど多くの悲惨な事故が起こることでしょうか。 大阪地検はそれらすべてを、「事故回避のため、やむを得ない運転操作だった」とでも言うつもりでしょうか?
なお、念のために、これはもちろん「不可抗力」でもありません。 「不可抗力」とは、たとえば衝突されてコントロールを失い、自分の意志では避けようもなく歩道に飛び込んだような場合です。

(2011/7/30)


2011-07-25更新 ©2011 by 葛の葉

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