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→「新撰字鏡」に見る「本」と「来」の字形
これも簡単に解説をしておきますと、先に取り上げた「新撰字鏡」よりさらに古い、現存日本最古の漢字辞典です。 編者はあの空海で、830年(天長7)以降成立かと言われるものです。 ただし、内容は中国の「玉篇」という辞書を要約したもので、独自性は少ないと言われます。 (逆に「玉篇」の原本は失われているので、その内容を知る上で貴重な資料とも言われます。そのため印影版が中国でも出版されています。)
「篆隷」という題名から分かるように、漢字の形として古代の篆書を示しているのが特徴です。 しかし、実際に篆書が示されている例は少なく、ほとんどは楷書だけの形で示されています。 (「隷」というのは文飾で、実際には楷書のことです。) 和訓がない点を除けば、実際の内容は「新撰字鏡」と似通っており、解説文が全く同じものもあります。
現行の写本は1114年(永久2)書写のもので、その点では新撰字鏡とほぼ同時代ですが、成立は70年ほど早く、 時代による文字認識の違いが見られるかどうかも一つの問題であろうと思います。
なお、文中に引用した画像は、筑摩書房刊「弘法大師空海全集」第7巻に収められた印影を使用しました。(これもごく一般的な書籍で、各地の図書館に備えられていると思います。)
この著作には序文というものが現存せず、辞書本体のみの例となりますが、「木」の部に「夲」の字が収められていました。 (左の画像が「篆隷万象名義」、右の画像が「新撰字鏡」)
この場合は、「補袞反」という発音も、以下に書かれている意味も、現在の「本」で間違いないようです。 日本で伝統的に書かれてきた字形で記述されていて、「新撰字鏡」に見られたような、日常的用法と辞書本体の記述の離反はありません。
一方、同様の発音と意味で、「新撰字鏡」は右のような見慣れない字形を掲載していますが、このような字形は「篆隷万象名義」には見られませんでした。
ところが、別の部に、これまた見たこともない文字が掲載されており、その説明は右の「新撰字鏡」の「夲」の字と全く同じです。 ただし、こちらは「大漢和辞典」に載っている字で、「十部4画、トウ、夲の俗字」とされています。
空海の方は「夲」の形を現在の「本」の概念で説明し、現在の(漢和辞典の)「夲」の概念を表すのに別の形を使用している。 昌住の方は「夲」の形を現在の漢和辞典と同様に説明し、現在の「本」の概念を表すのに別の形を使用している。 どちらの場合も、その別の形が非常に見慣れない文字であると言うことになります。 これは、おそらく両者の依拠した原典の記述の相違を反映しているのでしょう。
いずれにせよ、現在の「本」の字形は全く現れていないということになり、少なくとも10世紀初めまでの段階では、この字形は日本で全く知られていなかったことが確実と言えるでしょう。
一方、「来」の字形に関しては、複雑な問題はほとんどありませんでした。左に示したように、現在と同じ「来」の字形が掲げられているだけです。 また部首立てについては「耒」の部の次に出てきますが、要するに「来」の部となっています。
部分字形を見ても、大体同じことが言えますが、中に一つ「魚+來」という形のものが見つかりました。 「新撰字鏡」の場合は、部分字形として「來」の形が使われているケースが比較的多いと感じましたが、「篆隷万象名義」では非常に少ないようです。 このあたりは、参考にした原書の違いを反映しているのか、それとも筆写の際に生じた違いなのか、何とも言えません。 いずれにせよ、空海の時代には「來」という字形が非常に見慣れないものであったことは確かなようです。
以上のように、先に「新撰字鏡」から得た結論(→《万葉集と「本来」の漢字》との関わりで)はほとんど変わりません。 ただ、「來」の字形はこの時点ではまだ良く知られていないようです。
(2010年7月9日)