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「新撰字鏡」に見る「本」と「来」の字形

「新撰字鏡」とは

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広辞苑に毛が生えた程度ですが、一応解説をしておきます。新撰字鏡は現存日本最古の漢和辞典と言われるもので、 昌泰年間(898‐901)に昌住(しょうじゅう)という僧侶が著したものです。天治年間(1124〜1126)の写本(完本)が残っています。 全巻のファクシミリ版が出版されており、現在でも容易に入手できます。またちょっとした図書館にも備えられています。

全十二巻からなり、内容はまず漢字を示し、その下に割注で発音と意味を記し、一部の漢字には万葉仮名で訓が添えられています。 (ここが「漢和辞典」と言われるゆえんでしょう)。 十一巻までは主に部首別に記され、最終巻は「雑」として比較的一般的な漢字が収められ、また熟語も集められています。 収録された漢字は約21,000と言いますから、字数では現在の一般的な漢和辞典をはるかに上回るものです。

「本」の字の字形

さて、最初に掲げたのは最終巻の序文ですが、やはり一貫して「夲」の字形が書かれているのが分かります。 「夲」の字はこの巻に収められており、次のような記述になっています。

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ところで、この「勅高?反」のように書かれている部分が発音を表すわけですが、これはどうも「ホン」の発音にはならないようです。 意味も「進趣也」とあり、「もと」の意味ではありません。 一方、現代の漢和辞典で「夲」を引いてみると、「トウ:勢いよく進む意味」などと書いてあり、結局それと同様のことが書いてあるようです。

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つまり、同じ著者が序文では「根夲」「夲朝」などと書きながら、辞書本体では同じ文字を別の発音と意味で説明しているわけです。

それでは「本」の字はないのかというと、部首別の「木の部」に次のような文字がありました。 「木」の下にカタカナの「キ」を付けたような形で、こういう文字は初めて見ますが、意味は「旧也根也木下也」ですから、まさに「本」です。 発音の「捕六衮?反」は「六」が良く分かりませんが、これが「ホン」を表すようです。 この形は「大漢和辞典」にも見あたりませんが、「木の下の部分を示す」というよりは「木と根っこを表す」ように見えます。

昌住は何らかの原書にあったものを書き写したはずですが、そこにもともとあった文字なのか、それともその際に書き誤ったのか、事情は良く分かりません。 しかし、いずれにしてもこれは、「本」という字形が当時の日本では全く知られていなかったことを示すものと考えて良いでしょう。

そもそも、この新撰字鏡の目的ですが、それは中国の経典など原書を読解するための辞書であったことは明らかです。 だからこそ、見慣れた文字の説明が自分の日常知っている用法と違っていようと、それが見たこともない文字であろうと、差し支えがないどころか、むしろ価値が増したと考えられます。 序文の用字法と、辞書本体の説明が食い違っていることがあるのは、むしろ当然だったと言えるでしょう。

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「来」の字の字形

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「来」の字形についてもよく似たことが言えるようです。左に掲げたのは、第一巻の序文から抜き出したものですが、やはり伝統的な「来」の形を書いています。 ところが右に掲げた辞書本体の説明では、二つの字形が併記されているのです。

これを見ると、「本」の字形とは違い、「來」の字形についてはこの時点でようやくすでに日本に知られていたことが分かります。 しかし、それはあくまでも知識として知られていただけで、いまだ実際に書くべき文字としては意識されていなかったと言えるでしょう。 近代では辞書を調べて文字を書くということが当たり前になりましたが、この当時文字を書くというのは、一つ一つ手本を与えられてそれを練習するということだったわけです。 「來」の字形は、いまだそのような文字修得の場で使用されるものではなかったと言うことです。

なお、この記事はもともと、→万葉集と「本来」の漢字で取り上げた問題をさらに追及したものです。 もともとの論点についてはそちらを参照してください。また、同様の問題を、さらに古い時代について以下で取り上げています。→「篆隷万象名義」に見る「本」と「来」の字形

(2010年7月7日)

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