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「死刑囚のパラドックス」の解決

(この文章は最初からいろいろと考えながら書いたことなので、誤りや無駄が相当含まれています。簡単に結論だけをごらんになりたい方は、→新ページの方をごらんください。)


「死刑囚のパラドックス」とは

これはパズル好きには有名な問題だが、詳細はいろいろとネット上で紹介されている。 重複して紹介する必要もないので、例えば次のサイトを参照していただきたい。→囚人のパラドックス 。また、「死刑囚」をパズルの題材にするのは不謹慎と言う意味からか、「抜き打ちテストのパラドックス」としても紹介されている。 →ウィキペディア「抜き打ちテストのパラドックス」

以下は、上記ウィキペディアの「抜き打ちテストのパラドックス」に沿って話を進めたい。

問題の前提

ここでこの問題の前提となっている事項を確認してみよう。

1.テストは月曜日から金曜日の間に1回だけ行われる。(死刑なら当然2回は行えないが)
2.教師はテストの実施日が学生によって予知されることがないように、その曜日を決定する。(曜日決定のルール)
3.上記1と2の事項は学生に対して告知されている。

ここで重要なのは3であって、もし1だけが学生に告知されているのであれば問題は簡単である。つまり、金曜日以外のいずれかに決定しておけば、 学生は、曜日決定のルールを知らされていないので、金曜日が実施日である可能性を最後まで排除することができず、 結局あらかじめそれを知ることはできない。

ところがこの問題では、2の「実施日が予知されることがないように、その日程を決定する」ことも学生に対して告知されており、 教師はそのルールに対して誠実でなければならない、と言うことを学生はすでに知っている。 問題のややこしさ、分かりにくさはここから発生してくるのである。

間違った方法の例

例えば、5つの封筒を用意して、その一つに「実施する」、残りに「実施しない」と書いたカードを入れておく。 封筒に封をしてシャッフルし、毎朝その一つを学生の前で開封するのである。

一見、この方法なら予知は不可能のようだが、実はそうではなく、偶然「実施する」の封筒が最後に残った場合は予知できてしまう。 「教師はそのルールに対して誠実でなければならない」とは、このような偶然の可能性も排除する方法をとらなければならないと言うことである。

問題の分かりにくさ1

では、テストはないとする学生の推論は正しいのかどうかを検討してみよう。(上記ウィキペディアの説明)

1.まず、金曜日に抜き打ちテストがあると仮定する。すると、月曜日から木曜日まで抜き打ちテストがないことになるから、木曜日の夜の時点で、翌日(金曜日)が抜き打ち実施日であると予測できてしまう。これは抜き打ちとは言えないので、金曜日には抜き打ちテストを行うことができないということが分かる。

これは自明のことで、金曜日にテストを行うと決定すれば、それは必ず木曜日の放課後には予知できるので、そのような決定はルールに反することになる。

2.次に、木曜日に抜き打ちテストがあると仮定する。すると、月曜日から水曜日まで抜き打ちテストがないことになるから、水曜日の夜の時点で木曜日か金曜日のどちらかの日に抜き打ちテストがあることが予測できるが、1. により金曜日には抜き打ちテストがないことが既に分かっているので、翌日(木曜日)が抜き打ち実施日であると予測できてしまう。よって、木曜日にも抜き打ちテストを行うことができないということが分かる。

実はどうもこの段階で「ん?」と引っかかりを感じる人が多いようだ。

「金曜日にないというのは分かった。木曜日が終われば、残りは1日しかないのだから。 しかし、あと2日残っているのなら、どちらになるかは分からないのではないか…」

しかし、実はここまで書けば、答えはすでに分かっているのである。その通り、水曜日が終われば残りは2日である。 では、ルールに従えば、教師は実施日をその2日のどちらに決定できるだろうか? もし金曜日と決定すれば、その決定は木曜日の放課後には学生に知られてしまうのだから、金曜日と決定することはできない。 すなわち木曜日と決定するしかない。 木曜日と決定するしかないことが分かれば、すなわち学生は実施日を予知できたわけである。 すると今度は、木曜日と決定することもルールに反することになる。

このようにして、「残り1日の場合」だけでなく「残り2日の場合」でも、やはり曜日決定のルールに従った決定ができないことが分かるので、 あとはこの日数がいくら増えても結論は同じということになる。 つまり、残り3日の場合なら、水曜日に行うと決定しなければ、水曜日の放課後には「残り2日の場合」に移行してしまう。 ゆえに水曜日に行うと決定するしかないことを学生は知ることができるので、「残り3日の場合」にも、やはり教師は曜日決定のルールに従った決定ができない。 この操作は、何度繰り返しても結論が変わることはない。

このように学生の推論は全く正しいのだが、「残り2日」の段階で抵抗を感じる人が多いのは、 人間が直感的に認識できるものと、そうでないものとの間にある溝を表しているのではないだろうか。

問題の分かりにくさ2

ところが、この問題の難しさは、上記のように学生の推論が正しいことは十分に理解できるのに、同時に以下の結末を回避できないように感じてしまう点にある。

しかし翌週、テストは水曜日に行われた。上記の推論にもかかわらず、学生は全く実施日を予測できなかった。

すべては教師の予告通りになった。

しかし、これはおかしい。教師は自らが決めたルールに誠実に従う限り、学生が行ったのと同様の推論を行わざるを得ず、 その場合実施日を決定できなくなるのである。逆に教師が自ら決めたルールを無視して任意の日にテストを行うならば、 結果として、学生は当然その日を予知することができない。 言い換えれば、学生は教師が自ら告知したルールを無視して実施日を決定するという可能性までは予知できなかったというに過ぎない。

問題は「結果として学生が実施日を予知できたか否か」ではなく、教師が自ら学生に告知したルールに対して誠実であったか否かという点にある。 ウソを付くならば、相手の意表を突くことはいくらでも可能なのである。

このことは「テストは金曜日に行われた」としてみると、いっそう明らかになる。

すなわち、木曜日の放課後に、全ての学生は「テストは明日だ=テストは実施されない」と予知した。 にもかかわらず、教師は金曜日にテストを実施した。全く正しい推論にもかかわらず、学生は結局実施日を予知できなかった。

テストの実施が水曜日であろうと金曜日であろうと、学生が正しい推論を行い、教師がルールを無視した方法によって実施日を決定したことには何ら変わりがない。 ただ、金曜日の場合を除けば、その推論が段階を踏んだ間接的なものであるために、教師がルールを無視したと言うことが実感として分かりにくいだけである。 (「なんとなくもやもやしたものが残る」というのはこのようなことを言うのだろう。)

問題の解決

この問題がパラドックスであるゆえんは、「その決定を予知できたときに、そのような決定はないと予知できる」という点にある。 このパラドックスを逆手にとれば、「そのような決定はないと予知したときに、その決定を予知できたとは言えなくなる」となり、教師は任意の日にテストを行えることになる。 しかし、問題は正しい思考の手続きによって、当該曜日が実施日である(実施日でない)ことを予知できるか否かという点にかかっており、 教師は当然学生が正しい推論を行ったことを理解できるので、その推論の結果を逆手にとることはゲームのルールとして許されないとすべきだろう。

結局、最初にあげた3つの前提

1.テストは月曜日から金曜日の間に1回だけ行われる。
2.教師は実施日が学生によって予知されることがないように、その曜日を決定する。(曜日決定のルール)
3.上記1と2の事項は学生に対して告知されている。

これらの前提とルール全てに従う限り、教師にとって問題の正しい解は存在しない。 つまり、これらは矛盾した前提であったというのが、正しい解決であろう。

もっとも、このケースでは学生は教師が「曜日決定のルール」に違反したことを責めることが可能だが、 逆にもし教師が結局テストを行わなかったとしたら、その場合は「月曜日から金曜日の間にテストを行う」という約束を守らなかったことを責めるべきであろう。 この問題をややこしくしている真の原因は、実は論理の問題であるよりも、利害関係の問題なのかも知れない。
(実は、テストはいずれにせよ行われると考えて、十分にテスト勉強をした学生にとっては、テストが行われないことの方が損失なのだが、そのような学生は常に少数派に留まるのが世の常である。)

(2012年1月30日)

パラドックスを回避する方法

上述のように、「その決定を予知できたときに、そのような決定はないと予知できる」という点でパラドックスが生じるので、 学生は単に実施日が予知できた旨を主張すれば、パラドックスは回避できるわけである。

すなわち、例えば木曜日の放課後に学生はこのように考える。

「前提1によれば、テストの実施日は明日であることが予知できる。しかし、それは前提2に反している。この矛盾をどのように解決するかは、教師の責任に属する事項である。ともかく私はテストが明日実施されることを予知できた。」

このようにして、学生は金曜日の当日にテストが実施されようとしたとき、テストを中止すべきことも、実施すべきことも主張しない。単に教師の矛盾を指摘するだけである。

水曜日の放課後には学生はこのように考える。

「前提1によれば、テストの実施日は明日か明後日のいずれかである。しかし、もし教師が明後日にテストを実施しようとするならば、明日の放課後になれば、実施日が明後日であることが予知できる。 しかし、それは前提2に反しているので、教師はテストを明日実施すると決定せざるを得ない。このようにしてテストの実施日は明日であることが予知できる。しかし、それは前提2に反している。この矛盾をどのように解決するかは、教師の責任に属する事項である。ともかく私はテストが明日実施されることを予知できた。」

このようにして、学生は木曜日の当日にテストが実施されようとしたとき、テストを中止すべきことも、実施すべきことも主張しない。単に教師の矛盾を指摘するだけである。

しかし、もしテストが実施されない場合は、学生の予測が間違っていたのか?そうではない。単に教師が自ら決めたルールを無視しただけのことである。学生はあくまでも与えられたルールに従って予測をすればよいわけである。

このように、「明日テストが実施される」という予想は、その時点その時点において必ず真である。 学生はどの曜日にテストが実施されようと、その時に必ずこう言うことができる。 「そうですか、今日テストが実施されることは(上記の理由で)予知していました。したがって先生は、テストの実施日が学生によって予知されることがないように、その曜日を決定する、という約束を守られませんでしたね。」

学生は単に矛盾を指摘すれば良いだけで、予知できたからテストが実施されないのか、予知できたにもかかわらず実施されるのか、その点を判断する必要はない。悩むのは教師の仕事なのである。

そこで、最後に死刑囚のパラドックスの話に戻れば、死刑囚が「予知できた=死刑は執行されない」と考えたところに陥穽があった。もともと相手が矛盾したことを言っているわけだから、そこから相手の行動を正しく予見することは不可能だったのである。 「しめた、死刑はない!」と思ったのが彼の間違いで、彼は単に「死刑執行は明日であることが予知できた」とだけ思っていれば良かったのである。

「死刑囚のパラドックス」は実はパラドックスではない

このように考えてみると、この問題は単に「実施日(執行日)が予見できた=テスト(死刑)はない」という短絡に間違いがあっただけのことで、真のパラドックスの問題ではなかったことが分かる。 (そうなると、このページは最初から書き直さなければならないが、ここでは拙い思考の過程を残しておくことにする。)あくまでも論理的に予知される実施日は「明日」である。 実施日が予知されることは前提2に反するが、だからといって実施されないのならば前提1に反する。二つの前提は矛盾しているが、その矛盾をどのように解決するのかは、単に学生(受刑者)の利害によって決定されるべきではない。

つまり、『実施日は予知できる=二つの前提は矛盾している』と言うのが最終的な結論であって、学生が試験がないと思い込み、受刑者が死刑はないと思い込んだことを、さらに逆手にとってテスト(死刑)が実施され…というようなことは、単なる後日談に過ぎず、この問題の本質とは何ら関わりがなかったわけである。 この問題は実は、単に矛盾した前提からは矛盾した結論しか導き出されない、と言うだけの話に過ぎなかったのである。

(この項について、結論は異なりますが、→抜き打ちテストのパラドックスについて が参考になりました。)

(2012年1月31日)

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