風が吹けば葉が裏返るのは別に特別なことではありませんが、葛の葉の場合は葉裏の白さが印象に残り、そこから「葛の葉」が「裏」「恨み」にかかる枕詞となったわけです。 和泉式部の歌はそのような一つの例です。
秋風はすごく吹くとも葛の葉のうらみがほには見えじとぞ思ふ
ところで、この歌は「新古今和歌集」に赤染衛門(和泉式部とは対照的に良妻賢母で知られる)の歌と共に載せられているものです。詞書と赤染衛門の歌。
和泉式部、道貞に忘られて後、程なく敦道親王通ふと聞きて遣はしける
うつろはでしばし信太の森を見よかへりもぞする葛のうら風
これに対する返しとして、上の歌が詠まれたわけです。鑑賞はさておき、「葛」「葛の葉」が全く形式的な枕詞としてではなく、 「風」に吹かれる現実のイメージと結びついていることを感じます。
ところで芭蕉の句の方ですが、ここには「風」が出てきません。
葛の葉のおもて見せけり今朝の霜
この句は、一説に、一時不仲だった弟子嵐雪が芭蕉を訪問して、わだかまりが解けたことを表現しているとされています。 葛の葉は風が吹くと裏を見せるのですから、「おもて見せけり」とは、師弟の間に吹いていたすきま風が止んで「うらみ」がなくなったことを表し、 同時に嵐雪が芭蕉のところに「面を見せた」ことを表す。霜は風のない穏やかな朝に降りるもので、今は冷えていても日中は晴れ晴れとした暖かい日になる。 実際にこの師弟がその後どうなったのか良く知りませんが、そのような言祝ぎと期待をこめた句だったのでしょう。芭蕉は伝統的な「うらみ葛の葉」のイメージを文字通り逆転させてこの句を表現したわけです。
(芭蕉の句についての解説は、2009年12月13日に行われた「歴史ウォーク2009─信太山の歴史と自然を歩く」に参加した際の、実行委員長奥村博さんのお話をもとにまとめたものです。)
(2010年6月21日)