政治活動参加の有無や活動内容、誘った人の名や時間場所まで調査するという、思想調査そのものの「職員アンケート」を廃棄に追い込まれた橋下大阪市長。 普通ならそこで表面だけでも反省するところだが、この人物にはそういうまともな神経は存在しないらしい。 (まともな神経であれば、このような調査自体あり得ないが。)
今日の朝刊で「職員の入れ墨の有無も調べる考え」とあるのを見て、目をむいた。 しかもそれが「裁判になっても構わない」と言うのは、いわゆる確信犯というより、単に幼児性の表れで意地になっているだけという気がする。
確かに勤務中に「入れ墨を露出しながら働いたり」という実態があるのなら、それは問題にすべきだろう。 しかし、それは実際にそういう実態があった場合に、それに何らかの対処をするという問題であって、 「職員の入れ墨の有無も調べる」というのは全く問題が違う。
問題は公務中に「入れ墨を見せる」ことであって「入れ墨の有無」ではない。 仮に入れ墨があっても、本人がそれを隠している限り、それを暴き出す権利など誰にもない。 一体、「調べる」とは、職員を裸にしてでも調べるつもりなのだろうか? たとえ職員を裸にしなくても、それを「調べる」と言うのは、その人の心を裸にすることを要求することであり、本質は同じことなのだ。
このように、人の内心に平気で踏み込み、踏みにじるような人物。しかもそれを権力による恫喝で行おうとする人物。 大阪市民は、最も権力を持たせてはいけない人物に権力を与えてしまった。
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